❖日本の正しい歴史。

〇太平洋戦争の真実!!

○「太平洋戦争」は本当の名前ではない

 

「太平洋戦争」この名前は日本が戦争に負け、占領された後にできた呼び方です。
というのも日本主観、当時日本が使っていた戦争の名称は「大東亜戦争」です。意味としては、
「東アジアの戦争」という意味でした。
つまるところ、祖国防衛のため戦った日中戦争に始まり、その後の、当時イギリス領、オランダ領、フランス領等に進軍し、欧米に植民地にされていたアジア諸国を開放する。と同時に石油、鈴など天然資源を確保のために戦うという意味です。
そこに、後から入ってきたのがアメリカ。よって、アメリカ主観の「太平洋戦争」だけでは不十分すぎるのです。

 

○GHQによる戦後政策で洗脳された日本人

 

大東亜戦争という言葉は、戦後日本を占領したアメリカを中心とする占領軍GHQが行った占領政策である「WGIP(ウォーギルドインフォメーションプログラム)」によって戦後から教育を受けた日本人の記憶から消されました。
同時にアメリカは自国の戦争犯罪や残虐性を隠すために自虐史観「どれだけ帝国が悪かったか(真実ではない)」をTVやラジオ、新聞などの某体を使って繰り返し流し日本人に植え付けました。

こうして日本を悪とし、連合国が行った日本人への無差別絨毯爆撃、や黄色人種に対する差別意識を無かったことのように「WGIP」によって歴史を捻じ曲げたのです。
このように日本人の意識を変えたうえで、「太平洋戦争」にして、戦争の始まりをアメリカ主観の真珠湾攻撃にすることによって、なぜ日本が戦争をしたのか。
なんのために日本が戦争をせざるをえなかったのかをGHQは戦後の占領政策によって揉み消したのです。

 

 

○「八紘一宇」世界平和をめざす日本だけの精神

 

まず、1930年ごろの世界は白欧米列強の時代で、アジアで独立していた国は日本と中国でした。実際、中国はイギリスに間接的に支配を受けていたので、独立しているとは言えない状況だったのです。その有色人種の中で唯一完全に独立していたのが日本。その日本が明治維新以降、当時の日本人の猛烈な努力により我が国はだんだんと国力を上げていきました。
そして、日清戦争で清に勝利し、日露戦争では世界最強の陸軍大国であったロシアを破るまでに強くなっていったのです

そして国内では、「興亜少年」というアジア開放の思想を持つ若者を指す言葉が生まれ、白人が一方的に占領しているのはおかしい、平等にしよう、他のアジアの国々を開放しよう。という考えが広まりまっていました。

 

 

○動いた連合軍

しかし、ついに日本の国力に恐れを感じた連合軍が動きました。 
 アメリカ イギリス 中国(ほぼイギリスの属国)オランダによって日本の増長を防ぐために、ABCD包囲網がひかれました。これは、日本の成長の源となる石油などの鉄鋼資源の供給を凍結させる、という日本にとって非常に厳しい政策でした。

 これに対し、日本もたびたび交渉しましたが、日本を衰退させることを目的としている欧米諸国ですから解除するはずもなく、日本にとって積みの一手となるハルノート(包囲網をなくす気はない、と言わんばかりに厳しい条件)を出され、東条英機首相の言う「開戦やむなし」の状態になりました。

結果、燃料不足で自滅しないよう、石油獲得と同時に機運が高まっていたアジア開放を行うことに決まったのです。

 

 

○真珠湾攻撃

 

しかし、東アジアを開放するとなると連合国に喧嘩を仕掛けることになる。となるとイギリス等の同盟国であるアメリカ(当時も強大、フィリピンを植民地として持つ)も攻撃をしてくる。アメリカと力で戦争をしたら勝ち目はありませんから、日本はアメリカ軍最大の軍港真珠湾を一気に叩きのめして戦意を失わせ、一気に交渉に持ち込んで戦争を終わらせる。
という作戦を連合艦隊司令長官 山本五十六のもとに行いました。(五十六は渡米経験がありアメリカの国力を身を持って体験していた為この作戦を具申した)これが教科書での開戦である真珠湾攻撃です。
ここから今で言う太平洋戦争は始まりました。

 

 

○日本の功績

 

はじめは連戦連勝でしたが、日本は資源が乏しいため次第に勝てなくなっゆいきます。
結果的には、原爆を二発落とされ、終戦を迎えます。

この戦争で日本は東アジアを舞台に多くの犠牲を払い、日本軍は東アジアの様々な島で壮烈な死闘を繰り広げました。当時、開放と資源確保のために日本軍が進軍した際、どこに行っても原住民からは歓迎されたそうです。

当時の人々は戦後、「日本軍は島民を人道的に扱い、平等に扱い、農作業を教えた」日本軍が進撃した島々は長い白人支配から解放され。日本が降伏してからも「黄色人種でも白人に対抗できるんだ」と思い独立運動にに力を尽くしたそうです。結果、「日本のおかげで独立できた!」と、戦後、多くの東アジアの大統領や独立運動の代表者が日本政府や生き残っていた部隊指揮官に感謝を述べています。さらに、今現在も日本はの特亜3(特に、韓国 北朝鮮 中国)国を除く東アジアからの信望は厚いのです。

結果的に日本は、白人の世界征服の野望を覆し、白人に占領されていた東アジアの独立に大きく貢献するとともに、当時の日本の占領下に入っていた国には道路を敷き、学校を作り、鉄道を通し、井戸を掘ったり、橋を架けたり、と色々行いました。この行いによりアジア諸国は大半が親日国パラオやバングラデシュのように日の丸を自国の国旗に用いられるほど尊敬されているのだと思います私は、先人に対し高い誇りを感じると当時に「敗けたけれど勝った!」そう思います。

なので、日本人はアメリカが行った「東京大空襲」や各地への度重なる空襲、日本軍捕虜の虐殺、「広島長崎への原爆投下」などなど。
アメリカの行った非人道的行為に対しては批判の意を持つ必要があると私は思います。

この事実を知った人は、誇りをもった真の日本人として先祖と大東亜戦争で亡くなった英霊に皆さまに対し深い感謝の気持ちを忘れずに、この日本国で暮らしていてほしいです。

 

大東亜戦争のの真実を語った唯一の映画「凛として愛」

明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た歴史を約70分でまとめてあります。
 明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い
 ロシア、フランス、ドイツの三国干渉
 朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い
 満州事変、支那事変、ABCD包囲網。
 なぜ日本は戦わなければいけなかったのか。
 資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。

 

2日で放映中止、WGIPに洗脳された人々による反発

靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監督でした。
監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。
映画完成前から他国からの批判を気にした左翼陣営の圧力などがあり、上映はされたものの、日本の歴史の真実を伝える「凛として愛」はたったの二日で上映中止にしてしまったのです。
監督の無念さは計り知れません。
日本に歴史の真実を伝えるために作られた映画が、外国の非難を恐れ、放映中止、、、
今から14年前はネットも今ほど普及もしておらず、反日活動家に対抗できるほど真実を知ってい人が少なかったのです。

このページで話したことは、すべてが真実であり史実です。詳しく知りたい方は参考文献を乗せておきますのでそちらから!

著者 
   井上 和彦    「撃墜王は生きている」
   秋草 鶴次    「17歳の硫黄島」
ケント ギルバート 「米国人弁護士が断罪 東京裁判という茶番」
   飯島 進     「地獄の日本兵」
   阿部 善郎    「爆撃隊長の戦訓」
   世界情勢を読む会 「すべてわかる太平洋戦争」
   百田 尚樹    「大炎上」
   渡部 昇一    「知の湧水」
   映画       「凛として愛」

〇大東亜戦争は植民地の解放戦争だった !

自存自衛と大東亜の解放を掲げて戦われた日本の戦争は、アジアの諸国民や各国の識者からどのように受け止められているのだろうか-。

 

■イギリス
◎アーノルド・J・トインビー 歴史学者

「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)

■アメリカ
◎ジョイス・C・レプラ コロラド大学歴史学部教授

「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」    (「東南アジアの解放と日本の遺産」)

◎ジョージ・S・カナヘレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。…このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」    (「日本軍政とインドネシア独立」)

 

■オランダ
◎サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

 

■タ イ
◎ククリット・プラモード 元首相

「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

 

■マレーシア
◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

◎ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」

◎ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」

 

■インドネシア
◎モハメッド・ナチール 元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

◎アラムシャ 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」

◎サンバス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」

◎プン・トモ 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」         (昭和32年の来日の際の発言)

 

■インド
◎ラグ・クリシュナン 大統領

「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」      (昭和44年、日本経済新聞)

◎ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」

◎グラバイ・デサイ インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」
(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)

 

■スリランカ
◎l・R・ジャヤワルダナ 大統領

「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」 (1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

 

■ミャンマー
◎バー・モウ 元首相

「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」(「ビルマの夜明け」)

 

■シンガポール
◎ゴー・チョクトン 首相

「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号)