日本三名園と称される岡山後楽園。ソメイヨシノを中心に約60本の桜からなる桜林は芝生に座ってゆっくりとお花見が楽しめる。また、南門の桜は大きな滝のように連なり、新緑の芝との景色が圧巻。4月上旬から中旬頃には栄唱橋のたもとにある八重紅枝垂が見頃を迎える。江戸時代を代表する回遊式の大名庭園で、1952(昭和27)年に特別名勝に指定され今年で70年。
桜林にできる花びらのじゅうたんは圧巻のひと言。さまざまな形で花見を楽しめる。
◆備前焼の始まり
現在、国内各地でさまざまな「やきもの」が生産されていますが、「備前焼」はその中でもよく知られているほうではないでしょうか。備前焼は、むかしから、瀬戸や常滑などとともに六古窯のひとつに数えられ、豊臣秀吉など戦国武将にも愛されてきました。
現代においても岡山県の特産品として、県内の観光地や百貨店では必ずといっていいほど店頭に並べられています。芸術面でも高く評価をうけており、首相官邸には備前焼の陶壁が飾られています。
もしかしたら、備前焼を家庭の中で利用することは少ないかもしれません。しかし、折にふれて目にする身近な「やきもの」であることは間違いないでしょう。
今回はその身近なやきものである「備前焼のはじまり」について考えてみたいと思います。
備前焼 擂鉢(岡山市百間川米田遺跡)
備前焼 甕(福山市草戸千軒町遺跡)福山城博物館蔵
備前焼のはじまりについては、大きくわけると次の三つの意見があるようです。
i)奈良時代ごろ
ii)平安時代おわりごろ
iii)鎌倉時代おわりから南北朝時代はじめごろ
このなかで、i)についてはその根拠となっていた資料が平安時代おわりごろのものであるとわかったため、現在では支持する意見をあまり聞きません。そのため、候補はii)とiii)の二つに絞り込まれたことになります。
備前焼の主要な生産地である備前市伊部(いんべ)周辺で、たくさんの窯を築いて、やきもの生産をはじめるのは、平安時代のおわりごろです。
では、ii)できまりではないかと思われるかもしれませんが、このころ焼いていたものは「灰色」のやきものであり、須恵器と呼ばれるやきものとよく似ています。わたしたちが思い描く備前焼とは少しおもむきが異なります。
「灰色」の備前焼
備前焼 擂鉢(福山市草戸千軒町遺跡)広島県立歴史博物館蔵
備前焼 甕(福山市草戸千軒町遺跡)広島県立歴史博物館蔵「撮影中村昭夫」
やはり「備前焼」といえば、その特徴的な「あかい」色を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。そのため、「赤」ではなく「灰」のやきものを備前焼と呼ぶことに抵抗を覚える方も多いようです。白色や青色に発色したものをわざわざ「白備前」や「青備前」と呼んだりするくらいですから、それも納得できます。
それならば、あかく発色するものが増えはじめるのはいつごろなのかというと、それが、iii)鎌倉時代おわりから南北朝時代はじめごろなのです。
たしかに、この時期以後に伊部周辺でつくった製品を見たとき、わたしたちは迷わず「備前焼」と呼ぶことができるでしょう。
このように、伊部での生産が本格化する時期を重視するのであれば ii)ということになりますし、あかくないものは備前焼と呼びたくないというのであれば iii)ということになります。
現在の備前市伊部
二つの意見はどちらも間違っているとは思えません。だからといって、このままあいまいにして終わらせるのもすっきりしません。そこで、今のところどちらがより多くの人に納得してもらえる意見かを考えてみることにします。
「備前焼」という言葉から連想するイメージを人に伝えるとき、わたしたちはどのような説明をするのでしょうか。色や形から説明することもあれば、つくり方や焼き方から話をはじめることもあるでしょう。ほかにも様々な視点があると思います。ただ説明するなかで岡山県、なかでも備前市伊部の特産品であるということはとりあえずつけ加えるのではないかと思います。
色や形などの印象について同じ見解を共有することは難しいかもしれませんが、生産地に対して異論を唱える人は少ないと思います。
そう考えると、そのはじまりについても一つの方向が見えてきます。先にも述べましたが、備前市伊部でやきもの生産が本格化するのが平安時代のおわりごろなのです。
よって、「備前焼」のはじまりは、ii)平安時代のおわりごろとするのが今のところは妥当かと思います。
備前焼 香炉
最後に一つ、つけ加えておきます。
備前焼は様々な変化をとげながらも、その歴史は800年以上にわたり続いてきました。そして、それはおそらくこれからも続いていき、変化を繰り返すことになるのでしょう。
そのとき、人々の「備前焼」という言葉に対するイメージも変わることになり、そのはじまりについての考え方も変わる可能性があります。
そのため、無理に結論を求めたり、固定化して考えたりするのではなく、常にいろいろな考え方の人が様々な意見を出し合い、語り続けることが重要だと考えています。
◆岡山県警察
〇経済安全保障
◆岡山県議会
■以下が投稿内容である。
最近一番の私の心配事は「日中関係」です。私は日本政府に意見する資格もつもりもありませんが、「日中関係は非常にマズい状態になりつつある」ことを心配しています。ご存じの通り、私は商社マン時代に中国に15年以上も滞在して、2年間の留学を経て、駐在員事務所や事業会社で働いてきましたが、周囲の殆ど全員が中国人という中で、生活していたので、中国人のメンタリティはかなり理解しているつもりです。
地政学的に日本は中国と上手く付き合っていかなければならない宿命にあると思います。これは「今だから」ではなく、2千年以上も前から決まっていることなんです。「上手く付き合う」とは「ケンカをしない、ベッタリ仲良くもしない」と言うことです。中華思想という言葉がありますが、中国は長い歴史の中で、多少国土は広がったり、狭くなったり、分裂したりしていますし、また民族も漢民族だけが統治していた訳でもなく、漢民族を中心に、計55の民族があり、元や清に代表される少数民族が支配した歴史も長くありますが、いずれにしても中国は常に「世界の中心」として国威発揚してきた長い歴史があります。
ところが日本はここ150年ぐらいは頑張っていますが、それまで約270年間も鎖国をしていましたし、欧米から観れば「Far
East」で中国にへばり付いている小国に過ぎません。戦後「世界第二位の経済大国」として、今まで日本はよく頑張ってきたと思います。しかし2008年ぐらいから緩やかな人口減少社会を迎え、世界の目は一挙に「アジアは中国」という見方に戻ってきました。人口減少は、市場規模としてだけではなく、国民の考えが内向きになり、大きなマイナスの影響があります。我々の心の何処かに、日本が後退して、それに代わって米国と同レベルになりつつある中国の経済発展を快く思わない気持ちが芽生えています。
笠岡には「せらう」という方言があります。市外の人から「せらうは笠岡市民の特長だ」と聞いたことがあります。私は日本人は中国人と張り合ってはいけない、と思っています。日本人も素晴らしい国民ですが、お隣の大国と張り合ってはいけません。日本の貿易相手国も、日本に来てくれる観光客も、今やトップは中国であり、中国人です。感謝はしなければなりませんが、せらってはいけません。我々はしたたかに上手く付きあい、共に発展する道を探らなければなりません。北京冬季五輪にも堂々と政府代表者が訪問し、祝意を示してもらいたいと思います。
中国のことわざに「上有政策、下有対策」というのがあります。これは中国人のしたたかさを表現したことわざで、政府の政策が変われば、国民はまた新たな対策を取り、上手く生き延びる、という意味ですが、我々もしっかり対策を取って、中国と上手く付き合い、我が国の経済を発展させていかなければなりません。
貴州省の山奥のまた山奥の農村に旅をして、少数民族のお宅に1週間ほど泊めてもらった時の写真を見て、こんな事を感じました。
と、このように述べています。
意味不明な部分も有りますが【中国に逆らうな】的な感じを受けて非常に不愉快極まりない内容です。
笠岡市議会は、小林嘉文市長の行政運営が不適切だとして、市長に対する辞職勧告決議案を可決しました。
ただ、決議に強制力はなく、小林市長は「気を引き締めて市政運営に臨んでまいります」というコメントを発表しました。
辞職勧告決議案は6人の議員の連名で24日の市議会に提出されました。
決議案では、農業関連施設の改修事業で市に不適切な事務処理があったにもかかわらず、市は謝罪や改善策を示さず、市長に反省の姿勢がみられないとしています。
また、過去にも市長としての適格性に欠ける行為や行政運営が行われ、議会と市長の信頼関係を構築することはもはや不可能だとして市長の辞職を求めました。
そして、採決の結果、辞職勧告決議案は賛成11、反対5の賛成多数で可決されました。
ただ、辞職勧告決議に法的な拘束力はなく、小林市長は「市民の皆様にご心配をおかけいたしまして心よりおわび申し上げます。議会と執行部は車の両輪であるという原点に立ち戻り、気を引き締めて市政運営に臨んでまいります」というコメントを発表しました。
笠岡市によりますと、市長に対する辞職勧告決議案が可決されたのは今回が初めてだということです。
●Facebookに投稿されていた一色 正春氏(いっしき まさはる、1967年(昭和42年)1月3日 - )は元海上保安官(最終階級:三等海上保安正で尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件において、「sengoku38」名で映像を動画共有サービス・YouTubeへ最初に投稿した人物
(氏名)をクリックすると写真等を見ることができます。選挙区別名簿、期別名簿、会派別名簿もあります。
議席 | 会派 | 氏名 | 選挙区 | 郵便番号 | 住所 | 電話番号 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 民県 | 秋山 正浩 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0835 | 倉敷市四十瀬79-37 | (086)448-8833 |
2 | 民県 | 鳥井 良輔 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0826 | 倉敷市老松町2-12-15 | (086)441-6725 |
3 | 無所属 | 佐古 一太 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0062 | 倉敷市浜町2-1-4 | (086)425-5588 |
4 | 自民 | 松島 幸一 | 久米郡 | 709-3717 | 久米郡美咲町原田3212-1 | 0868)66-7086 |
5 | 自民 | 本山 紘司 | 津山市・苫田郡・勝田郡 | 708-0363 | 苫田郡鏡野町小座1438-1 | (0868)54-3747 |
6 | 自民 | 福田 司 | 岡山市北区・加賀郡 | 700-0824 | 岡山市北区内山下2-11-18岡山共済会館3階 | (086)234-7070 |
7 | 自民 | 清水 薫 | 津山市・苫田郡・勝田郡 | 708-0806 | 津山市大田81-11 2F | (0868)24-0107 |
8 | 自民 | 大橋 和明 | 岡山市南区 | 701-0221 | 岡山市南区藤田497-24 | (086)296-6084 |
9 |
自民 | 乙倉 賢一 | 岡山市東区 | 704-8138 | 岡山市東区神崎町258 | (086)946-2800 |
10 | 自民 | 大森 一生 | 高梁市 | 716-0039 | 高梁市旭町1344-3 | (0866)22-1205 |
11 | 自民 | 小倉 博 | 赤磐市 | 709-0824 | 赤磐市穂崎457 | (086)229-2419 |
12 | 自民 | 田野 孝明 | 津山市・苫田郡・勝田郡 | 709-4311 | 勝田郡勝央町岡269-2 | (0868)38-3012 |
13 | 自民 | 河野 慶治 | 真庭市・真庭郡 | 719-3201 | 真庭市久世2489-12 | (0867)42-1162 |
14 | 自民 | 渡辺 知典 | 浅口市・浅口郡 | 719-0111 | 浅口市金光町大谷2485-11 | (0865)42-2010 |
15 | 自民 | 福島 恭子 | 岡山市東区 | 709-0611 | 岡山市東区楢原457-2 | (086)959-1007 |
16 | 自民 | 山本 雅彦 | 津山市・苫田郡・勝田郡 | 708-0036 | 津山市南新座34 | (0868)32-2922 |
17 | 自民 | 小林孝一郎 | 岡山市南区 | 702-8023 | 岡山市南区南輝2-13-16 | (086)250-8030 |
18 | 民県 | 大塚 愛 | 岡山市北区・加賀郡 | 709-3122 | 岡山市北区建部町吉田321 | (086)722-1772 |
19 | 民県 | 髙橋 徹 | 岡山市中区 | 703-8271 | 岡山市中区円山107 | (086)277-9900 |
20 | 共産 | 須増 伸子 | 倉敷市・都窪郡 | 701-0303 | 都窪郡早島町前潟1043-2 | (086)482-2886 |
21 | 共産 | 氏平三穂子 | 岡山市中区 | 704-8196 | 岡山市東区金田798 | (086)948-0705 |
22 | 公明 | 吉田 徹 | 倉敷市・都窪郡 | 711-0936 | 倉敷市児島柳田町1753 | (086)473-3317 |
23 | 民県 | 中川 雅子 | 岡山市東区 | 704-8175 | 岡山市東区益野町41-3 | (086)238-8686 |
24 | 自民 | 木口 京子 | 岡山市南区 | 709-1204 | 岡山市南区西高崎5-52-307 | (086)362-7695 |
25 | 自民 | 市村 仁 | 美作市・英田郡 | 707-0011 | 美作市和田134 | (0868)72-0778 |
26 | 自民 | 上田 勝義 | 井原市・小田郡 | 715-0019 | 井原市井原町680-31 | (0866)62-1322 |
27 | 自民 | 小林 義明 | 新見市 | 718-0012 | 新見市唐松3301 | (0867)88-8133 |
28 | 自民 | 中塚 周一 | 倉敷市・都窪郡 | 713-8125 | 倉敷市玉島勇崎930 | (086)528-0319 |
29 | 自民 | 江本 公一 | 総社市 | 719-1103 | 総社市西阿曽405 | (0866)99-9203 |
30 | 自民 | 太田 正孝 | 岡山市北区・加賀郡 | 701-0153 | 岡山市北区庭瀬146-7 | (086)292-1905 |
31 | 自民 | 池本 敏朗 | 備前市・和気郡 | 705-0021 | 備前市西片上1068-4 | (0869)64-2767 |
32 | 自民 | 小倉 弘行 | 岡山市中区 | 703-8231 | 岡山市中区赤田248-5 | (086)272-9805 |
33 | 自民 | 加藤 浩久 | 玉野市 | 706-0011 | 玉野市宇野4-15-5 | (0863)21-5373 |
34 | 自民 | 遠藤 康洋 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0012 | 倉敷市鳥羽113-14 | (086)463-3183 |
35 | 自民 | 神宝 謙一 | 瀬戸内市 | 701-4246 | 瀬戸内市邑久町山田庄197-1 | (0869)22-2765 |
36 | 自民 | 波多 洋治 | 岡山市北区・加賀郡 | 701-0143 | 岡山市北区白石65-3 | (086)253-3015 |
37 | 民県 | 柳田 哲 | 倉敷市・都窪郡 | 712-8032 | 倉敷市北畝6-15-3-7 | (086)455-1108 |
38 | 民県 | 高原 俊彦 | 岡山市北区・加賀郡 | 700-0803 | 岡山市北区北方2-3-38-8 | (086)224-7055 |
39 | 公明 | 荒島 俊造 | 岡山市南区 | 702-8021 | 岡山市南区福田345-6 | (086)259-0126 |
40 | 公明 | 笹井 茂智 | 岡山市中区 | 702-8006 | 岡山市中区藤崎357-7 | (086)277-7680 |
41 | 公明 | 増川 英一 | 岡山市北区・加賀郡 | 700-0866 | 岡山市北区岡南町1-8-33 | (086)221-6516 |
42 | 公明 | 山田総一郎 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0802 | 倉敷市水江1527-12 | (086)466-4222 |
43 | 無所属 | 蜂谷 弘美 | 岡山市北区・加賀郡 | 700-0921 | 岡山市北区東古松2-11-25-603 | (086)223-1980 |
44 |
民県 | 住吉 良久 | 玉野市 | 706-0011 | 玉野市宇野8-28-17 | (0863)32-1001 |
45 | 自民 | 高橋 戒隆 | 倉敷市・都窪郡 | 710-1312 | 倉敷市真備町辻田151-6 | (086)698-2206 |
46 | 自民 | 蓮岡 靖之 | 倉敷市・都窪郡 | 711-0931 | 倉敷市児島赤崎4-1-52 | (086)474-6060 |
47 | 自民 | 伊藤 文夫 | 笠岡市 | 714-0044 | 笠岡市神島3618 | (0865)67-2236 |
48 | 自民 | 小田 圭一 | 倉敷市・都窪郡 | 710-0131 | 倉敷市天城台4-7-13 | (086)429-0920 |
49 | 自民 | 渡辺 英気 | 倉敷市・都窪郡 | 712-8002 | 倉敷市連島町亀島新田170 | (086)444-8045 |
50 | 自民 | 内山 登 | 備前市・和気郡 | 709-0524 | 和気郡和気町田賀481 | (0869)93-3951 |
51 | 自民 | 小野 泰弘 | 総社市 | 710-1202 | 総社市山田848 | (0866)96-0316 |
52 | 自民 | 河本 勉 | 岡山市北区・加賀郡 | 709-3143 | 岡山市北区建部町宮地219 | (086)722-0597 |
53 | 自民 | 小田 春人 | 井原市・小田郡 | 714-2114 | 井原市芳井町川相211-1 | (0866)72-1407 |
54 | 自民 | 天野 学 | 笠岡市 | 714-0081 | 笠岡市笠岡779-3 | (0865)62-3345 |
55 | 自民 | 千田 博通 | 倉敷市・都窪郡 | 712-8043 | 倉敷市広江2-6-32 | (086)455-1919 |
※ 「自民」は自由民主党岡山県議団、「民県」は民主・県民クラブ、「公明」は公明党岡山県議団、「共産」は日本共産党岡山県議会議員団を表します。
令和3年5月14日現在
議長 神宝 謙一
副議長 池本 敏朗
監査委員 市村 仁 柳田 哲
総務委員会 |
環境文化 保健福祉委員会 |
産業労働 警察委員会 |
農林水産委員会 | 土木委員会 | 文教委員会 | ||||||
○ △ |
木口 京子 秋山 正浩 小田 春人 波多 洋治 池本 敏朗 太田 正孝 大森 一生 柳田 哲 増川 英一 須増 伸子 |
○ △ |
小林 義明 松島 幸一 小田 圭一 加藤 浩久 中塚 周一 髙橋 徹 吉田 徹 氏平三穂子 佐古 一太 |
○ △ |
山本 雅彦 本山 紘司 千田 博通 小野 泰弘 遠藤 康洋 小倉 弘行 小倉 博 鳥井 良輔 荒島 俊造 |
○ △ |
河野 慶治 乙倉 賢一 河本 勉 伊藤 文夫 神宝 謙一 上田 勝義 市村 仁 大塚 愛 山田総一郎 |
○ △ |
渡辺 知典 大橋 和明 天野 学 渡辺 英気 高橋 戒隆 江本 公一 清水 薫 住吉 良久 中川 雅子 |
○ △ |
福島 恭子 笹井 茂智 内山 登 蓮岡 靖之 小林孝一郎 田野 孝明 福田 司 高原 俊彦 蜂谷 弘美 |
○:委員長,△:副委員長 |
決算 特別委員会 |
総合計画・ 行財政改革 特別委員会 |
地域振興 特別委員会 |
防災・環境対策・ |
教育再生・ 子ども応援 特別委員会 |
|||||||
○ △ |
荒島 俊造 福田 司 蓮岡 靖之 太田 正孝 中塚 周一 木口 京子 大橋 和明 本山 紘司 住吉 良久 鳥井 良輔 |
○ △ |
大森 一生 吉田 徹 千田 博通 小野 泰弘 渡辺 英気 波多 洋治 加藤 浩久 小林孝一郎 高原 俊彦 氏平三穂子 佐古 一太 |
○ △ |
田野 孝明 髙橋 徹 天野 学 内山 登 上田 勝義 福島 恭子 渡辺 知典 秋山 正浩 山田総一郎 須増 伸子 |
○ △ |
乙倉 賢一 松島 幸一 河本 勉 小田 圭一 伊藤 文夫 高橋 戒隆 小林 義明 中川 雅子 笹井 茂智 蜂谷 弘美 |
○ △ |
小倉 博 清水 薫 小田 春人 遠藤 康洋 小倉 弘行 江本 公一 山本 雅彦 河野 慶治 大塚 愛 増川 英一 |
||
○:委員長,△:副委員長 |
議会運営委員会 | |||||||||||
○ △ |
波多 洋治 太田 正孝 千田 博通 天野 学 小田 春人 小野 泰弘 渡辺 英気 伊藤 文夫 住吉 良久 高原 俊彦 山田総一郎 |
||||||||||
○:委員長 △:副委員長 |